一句鑑賞
2024年10月 作品 暦日下町
一木 孝男 一幹 盛人 麻紗 篤樹 純栄 恵美子 佐恵子 富美子 龍之介
◇松田 純栄
宇治川の瀬音聞きいる秋の夜半
この一句は固有名詞と季語の構成が、決まっている。それ以上でも、それ以下でもない事実を淡々と述べている。それ故、この地への想像力と訪ねてみたい想いに駆られる。
◇道山 孝男
秋茄子目立たぬことも処世術
『雉も鳴かずば撃たれまいに』ではないが
矢面にたたず、やり過ごすというのは、私たち庶民の唯一の護身術でもある。それでいても、数生るナスビは地味にして味わいが深い。
◇萩庭 一幹
草の露踏みて上りぬ宮土俵
素人相撲の大会に出逢ったった。若者たちは秋の日差しのもと、草の露を踏みしめ乍ら出番を待っていた。場所は靖国神社の宮土俵、逞しい若者達の歓声が上がっていた。
◇原 盛人
庭の木々雹に剪定されしかな
雹は夏の季語であり、天上で急激に氷った粒が一斉に降って来る。寒冷前線の雹嵐は、草木を散々に痛めつけて去る。葉は穴だらけでもぎり取って行く。これも気性の温暖化と。
◇渋谷 麻紗
栗を煮て一人の夜を愉しめり
童謡に『里の秋』がある、『静かな静かな里の秋、ああ母さんと栗の実煮てます~』を想い起こした。この場合は、独りの栗の実で更にさみしいはずだが、何故か愉しい。
◇柳 篤樹
たをやかに揺れて紫苑の丈くらべ
コスモスや紫苑は身を嫋やかに保つことで、身を護っている。丈を同じぐらいに保つことも風から身を護る術なのだろう。『丈くらべ』は、みな同じ丈と見てとってのことかと。 ◇遠藤 恵美子
友の待つ街への旅や秋うらら
何年も会ってなくとも、俳句仲間は、心通わせているので、全く違和感がない。瞬時に昔に戻り、話題にも事欠かない。全く『友遠方より来る亦楽しからずや~』の漢詩そのものである。
◇飯塚 佐恵子
風過ぎるたび力抜き秋の草
もう、夏の猛暑や旱と闘わなくてもよい。脱力の柔軟性こそ、草木の生きる処世術。秋草も花を咲かせ、草の実を遠くへ運んでもらう時季がやって来たのだ。
◇安保 富美子
体内にざらつきしもの秋風に
『ざらつきしもの』に突き当たった。この、ざらつきしものとは『ざわめきしもの』と言い換えてもよいのかもしれない。秋風と共に何か触発されるものが生まれたのだろうか。
◇松尾 龍之介
味噌汁に普段のこころ野分あと
みそ汁は、母の味であり、育った家庭のあじである。関西、関東、その地域にによっても異なってくる。『普段のこころ』とは、それぞれの多様性を包み込んでの味なのだ。
◇世古 一穂
捨て石に腰を預けて小春かな
配石は作庭の重要な要素である。捨て石は他の石を際立てるための脇役の石で、つい坐りたくなる位置にある。『捨石』は本来、囲碁の作戦上の囮石から来ている。